合気道を通じて心身を鍛練し、あらゆる面で広く人類社会の向上をはかることを目標とします。

守清館メモ(山口清吾師範20周年祭から) 

◆守清館メモ

昨日平成28年4月9日、山口哲先生主催の「合気道 山口清吾先生 二十年祭」に参加させていただきました。
まずは、主催者山口哲先生、発起人の高弟であられた八段の先生方々に深く感謝する次第です。

冒頭一時間にわたる哲先生自らの編集による山口清吾師範のビデオが放映され拝観させていただき
20年前の先生の道場でのご指導が甦って参り、清々しくも緊張感のある一時間となり感銘を受けました。

その折、同席していた方からなぜ守清館の合気道はビデオとは違い柔らかいのですかという率直な疑問を
投げかけられました。

私は実はあまり山口師範のビデオを見ないのですが、今回のビデオをやや厳しい投げや剣の振りが
メインに編集され、とても鮮烈な印象を得え感銘しました。哲先生にも拝観後、素晴らしいビデオでしたと
申し上げました。

その後のこの「なぜ柔らかいのですか」という質問に正直すっきりと回答できていない自分を感じていました。
なぜかと申しますとたぶん山口清吾師範が私を本部道場でいつもいつも受け身に使っていただいていた時代が
六十代だからと回答したのですがそれだけでは説明がつかない。

ふと、今朝守清館のホームページに掲載しておいた昨年の全日本合気道演武大会での守清館演武のビデオを見てみたのですが
それを見て少し回答が見つかりました。
私の受け身の時代はたぶん師範はかなりの孤高のレベルにおられ弟子たちに教えようとする気持ちが以前より強くなって
おられたのではないかと思います。私にはあまり厳しい投げをなさらなかったのか
私は一度も厳しい投げをされたという印象がなく、いつも柔らかく投げていただいていた印象しかないのです。
でも、私の勘違いも多少あるのかもしれません。
ただ瞬時の自分が受け身で反応しているスピードは大変に速かったと思いますし、シャープさはいつでも加減できる緊張感が
常に秘められていました。そして先生にいつもまっすぐ向かっているのですが力が及ばず、先生は真上にいるのですがとても遠くから
私を柔らかくでも細く捕まえて離さないのです。その当時の私の受け身の反応は全く「動物」そのものですし、先生の投げは自分では
どうにもならないもので、頭の意識は空っぽだったように思います。そして投げられた後は体が生き生きと甦って元気になっていること
に気づいていました。

ということで、私の合気道探求はその瞬時の投げの受け身をとっているときの何をされたか分からない。そこからの
探求のように思います。その一つに手を翳す(かざす。あげる。)ということの一点に今まで焦点が絞られていたように
思います。生前師範はよく本部稽古では「ゆっくりやるほうが難しい」とおっしゃっていました。

そうやってあらためて昨年の日本武道館での守清館の演武大会での演武のビデオを見ると間違った稽古はしていないと
思うと同時に自分の未熟さと指導の足りなさがよく見え、明日への意欲が新たに湧き出てきました。

二十年祭に参加させていただき、誠にありがとうございました。

守清館 溝口

 

 

日付:2019/11/24 06:46

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